問わなくてはならない問い

東本願寺出版が毎月1日に発行する同朋新聞には連載38回を数えた「今月の法話」というページがあり、2023年12月号をもって最終回となりました。この最終回のテーマが、

「もし三日のいのちと言われたらどうする?」
(長浜教区 敦賀組 隆法寺 興法慶実氏 著)

というもの。
この問いかけは、著者が聞法学習会の座談の場である先輩から投げかけられたものだそうです。そのとき著者もふくめてその場にいた者がみな答えられずに黙って考えていると、その先輩はこの問いかけに具体的に答えてくれたお二人のことを教えてくれたそうです。

一人はわんぱくそうな中学生の男の子。
「できるだけ具体的に答えてほしい」とお願いすると、その子は、「一日目はおいしい物を食べる」。「二日目は行きたいところへ行く」。ところが三日目の答えはなかなか返ってきません。下を向いて黙ってしまった。それで「三日目は?」ともう一度たずねると、彼は「気がふれる!」と真っ赤な顔をして叫んだそうです。

もう一人は、長年聞法されているお婆ちゃん。
同じようにたずねたところ、「一日目は今まで聞法して書きとめたものや、仏教書を読む」。「二日目は信頼している先生に会いに行く」。そして、「三日目は、畳を(両手でかきむしる)こうやって終わっていくんでしょうね」と、涙をぽろっと流されたそうです。

そして著者の興法慶実さんはこのように感想を書かれています。「一番向き合わなくてはならない自分自身、つまり、自分の死の前には、どうしたらいいんや、助けてくれ、と死んでも死にきれない我が身を問題にしないで、日頃住職として、聞いて知って覚えた仏教の知識、分別で、わかったこととして人に向かって教えを語っている。そういう私に、〈もし三日のいのちと言われたらどうする?〉という問いかけは、本当に問題にしなければならない我が身の課題に折に触れて向き合わせ、考えさせてくださる言葉になっている」。さらに「私の問わなくてはならない問い、〈自分の死の前には、死んでも死にきれない我が身〉という一大事を、何度呼びかけられても気づけません。それほど自分は〈だいじょうぶ〉だと、何の根拠もないのに我が身を頼りにし、仏法をはねつけて生きている自分自身が、聞法をとおしてあきらかに知らされてきています」とも。

とても心に残ったシリーズ最終回の「今月の法話」から抜粋させていただきました。

親鸞聖人のお言葉

『人の命は日々に今日やかぎりとおもい、時時に只今や終わりと思うべし』

『明日ありと思う心の徒桜、夜半の嵐の吹かぬものかは』

『我はほどなく浄土に帰るなり。この世に言いおくこと一言もなし』

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