歴史
開基
浄法(当時過去帳には浄徳)
延徳元己酉年(1489年 室町中期)9月11日
善俊光正録によれば、市村兵庫兼治は相州酒匂の人で市村順哲という医者の子であった。兼治の孫市村太郎右衛門兼政は三島にて嘉念坊善俊の弟子となり、随従して白川郷に入り、この地に定住し光輪寺祖となったという。
沿革
長亨2年(1488年)飯島兵乱の際、嘉念坊九世明教の遺児当時2歳であった亀寿丸と母親を看護して越前に逃れた太郎右衛門は、市村太郎右衛門兼政の子孫であると伝えられている。(岷江記)
当時ははじめ白川郷岩瀬村にあったが、いつのころからか同郷中野村に移ってから、道場源右衛門と呼ばれその子孫は代々兼帯明主をつとめていた。
その後、光輪寺と称し数百年の間つづいたが、昭和35年御母衣ダム建設に伴い関市に移転し現在に至っている。
本尊裏書
方便法身尊形
大谷本願寺釈蓮如在判 延徳元年乙酉9月11日
飛州白川善俊門徒
同在所 岩瀬 願主 浄法
光輪寺桜
いま御母衣ダム湖畔中野展望台に移し植えられている2本の荘川桜の中、北川の桜がもと当寺の境内にあったもので、樹齢凡そ400年とも言われ、高さ30メートル幹周6メートルの老樹で、現在荘川桜として昭和41年県の天然記念物に指定されている。
歴世
開基:浄 法
延徳元年(1489年 室町中期)9月11日この年より貞亨2年(1680年)に至る192年間の記録なく世代不明。
二世:宗 祐
三世:一 乗
四世:不 明
五世:是 空
六世:了 正
七世:宗 清
八世:宗 慶
九世:是 門
十世:宗 空
十一世:廣 道
十二世:廣 海
十三世:法 恩
十四世:香 恩
十五世:左 教
十六世:哲 信
十七世:博 之
十八世:孝 之 (現住)