「馬鹿になれ」とは

若い頃に読んだ司馬遼太郎さんの長編小説『翔ぶが如く』の中で主人公の西郷隆盛を筆頭とした幕末期の薩摩藩士の士風を紹介する文章に、鹿児島の方言で「ぎ(義、議)を言うな」という言葉がある。「御託を言うな」とか「屁理屈を言うな」といった意味であり、かつて薩摩藩の郷中教育の中で培われた論ずるより行動することを重んじる気質を表すとありました。「泣こかい、飛ぼかい、泣こよかひっ飛べ」の表現はまさにその象徴であり、小説を読みながら豪快で勇敢な薩摩隼人の男らしさに憧れを覚えたものです。

この「ぎを言うな」に近い意味合いの標準語の表現に「馬鹿になれ」という言葉があります。故アントニオ猪木さんの詩集のタイトルでもあり、一般社会でもたまに使われる言い回し。例えば職場の上司が部下に「難しく考えるな、馬鹿になれ」と指導する場面が思い浮かびます。とくに対人関係において自分の立場が弱いときに、自らの非を認めたくない、自らを強く見せたいがために言葉を尽くして弁舌を述べる。おそらく当人は自己防衛や自己顕示のために無意識にやっていることと思われますが、上司の言う通り「その件につきましてはコンプライアンスを留意し弊社のガバナンスに基づくクライアントのリクエストに答えるべくエビデンスの提出に鋭意精査したのですが・・」などと言われるよりも「すみません、わからないです」と頭を下げられるほうがよほど愛嬌がある上に営業力や判断力を評価される可能性すらあります。

「馬鹿になれ」とは状況に応じて物事を素直にありのままに受け入れよ、思考回路を単純レベルに切り替えよ、そんなところが真意といえそうです。馬鹿であるはずがない令和の若者が「馬鹿になる」スイッチの切り替えを身につけることは現代社会を生き抜く重要なスキルかもしれませんね。

さりとて、先に述べた「ぎを言うな」も「馬鹿になれ」も現代社会ではパワハラワードに挙げられる可能性があります。指導者の方々にはここはひとつ親鸞聖人の仰せに習い、あるがままを受け入れるべき「凡夫になれ」と教え諭すことをおすすめします。

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