無知の知

「私が知らないことを、私は知っていると思わない」

これは哲学者のソクラテスが述べたとされる言葉であり、『無知の知』あるいは『不知の自覚』と呼ばれる考え方でもあります。自らの無知を自覚することが、真の認識に至る道であるとの教え。しかしながらこの考え方の真意が「どれほどの知識を得ようが自分はまだまだ未熟者であると思い知るべきである」などという謙遜を表すような浅はかなものではないことを理解しなければいけないようです。それは無知の“知”とは知識ではなく知恵ということ。ソクラテスは「知恵に関しては自分にはほとんど価値がないことを自覚した者が人間たちの中で最も知恵あるものだ」と解釈します。

辞書によれば、知恵(智恵、智慧)とは、

ー 物事の道理を判断し処理していく心の働き。

ー (智慧)仏語。相対世界に向かう働きの智と、悟りを導く精神作用の慧。物事をありのままに把握し、真理を見極める認識力。

とあります。そして知恵を得るには、知識を活用して物事を様々に解釈することが必要とされます。そして様々な解釈とは先入観を排してあらゆるものの見方、考え方を受け入れることでもあります。

『無知の知』とは知恵を得ることに十分などない、終わりなどない、さらに言えば自らの解釈で得た知恵など正しいのか間違っているのか、善か悪かすらあてにならないものである、つまり知恵に関しては自分にはほとんど価値がないと自覚すること。そう哲学者ソクラテスは説いているのかもしれません。

善と悪といえば、浄土真宗開祖 親鸞聖人は「煩悩具足の〈凡夫〉である私たちに物事の良し悪しなどわかるはずがありません。まずはありのままの事実を受け入れませんか」と説かれます。それは知恵などあろうはずもない愚かな〈凡夫〉であることを自覚せよとのお教え。

親鸞聖人の〈凡夫〉とソクラテスの〈無知の知〉。二つの解釈には何かしらの共通点を見出せるものかもしれませんね。

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