日本大衆文学の巨匠、司馬遼太郎さんが「無人島に一冊の本を持っていくとしたら『歎異抄(たんにしょう)』だ」と語られたのは有名な話ですね。今回はこのブログでも幾度となくその文章を引用させていただいている仏教書『歎異抄』を紹介してみることにします。
親鸞聖人が浄土真宗を開かれた時代。自力による修行を否とし阿弥陀如来の本願力にひたすら身をゆだねることを説く「他力本願」、善人よりも悪人こそが救われるという「悪人正機」の思想など、これまでの仏教解釈の常識を覆す革新的な親鸞聖人のお教えは、その新しさゆえに死後大きな誤解にさらされました。浄土真宗の教団内からも多くの異義が出され、混迷を深めていた状況を嘆いた門弟の一人、唯円(ゆいえん)が師・親鸞聖人から直接聞いた言葉と、信徒たちによる異義・異端への唯円自身の反論を記した、文字通り「異義を歎(なげ)く」と題した書物こそが『歎異抄』であります。
浄土真宗の教義において、親鸞聖人が著した『教行信証』(行巻の末尾にある偈文が「正信偈」)、『三帖和讃』(「浄土和讃」「高僧和讃」「正像末和讃」の総称。国宝)などを教科書とするならば、『歎異抄』はまさに参考書と位置付けられるものかもしれません。
「念仏者は無碍の一道なり」
「善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」
「善悪の二つ、総じてもって存知せざるなり」
「この慈悲始終なし」
これら『歎異抄』の言葉の数々にふれることで、親鸞聖人のお教えと真意を知り、より解釈を深めることができるともいえそうです。かさねてこれらの名文には現代語訳など無用とも思える古典としての文章の魅力があふれているようにも感じます。さらに司馬さんの言葉です。
「十三世紀の文章の最大の収穫の一つは、親鸞聖人の『歎異抄』に違いない」
仏教書『歎異抄』は原文と現代語訳の文庫本、さらに多くの解説本も刊行されています。しかしながらそれらの解説云々はさておき、まずは原文と現代語訳から何を思うのか感じるのか。ぜひ一読されることをお薦めします。