アルバム

外出先で偶然、学生時代の同級生に再会しました。少し立ち話をして別れましたが、誠に失礼なことにお名前がどうしても思い出せません。帰宅後、お名前を確認しておこうと何十年ぶりかに卒業アルバムを開きますと、あっ、いたいた、そうそう〇〇さんね。そしてここからがよくある話です。つい同じ場所にある古いアルバムを手に取り、何気なしに眺めはじめます。

ある写真には幼少期の運動会の様子があり、そこには在りし日の祖父母の姿があります。いつも見ている額縁の中の正装した姿とは違い、祖父母の活き活きとした動きと満面の笑顔がそこにはありました。別のアルバムをめくると、親戚の集合写真に若くして亡くなられた叔父の姿を見つけました。生前、よく遊んでもらった記憶が鮮やかにに蘇り、(あの頃は叔父さんに遊んでもらうのが本当にうれしかったんですよ)と呟きそうです。別のアルバムをめくると、お寺の行事を撮った写真があります。お世話になった先代の御檀家の方々を拝見して思わず、(ご無沙汰してます)と声を掛けてしまいそうです。そして気がつけば一時間、同じ場所にしゃがみこんでアルバムを眺めていました。

歳を重ねるとアルバムの見方もどうやら若い頃とは違うようです。家族が残してくれた自分が中心に写っている写真であっても、自らの姿に目をくれることはなく、自分を取り巻いている人たちばかりに思いは向いていきます。ご縁があって出会い、ご恩があって生かされている。久しぶりに見るアルバムはそんなことを改めて気付かせてくれるようです。

お問い合わせ
PAGE TOP