諸行無常

仏教の真理を司るキーワードのひとつといわれる〈諸行無常〉。あまりにも壮大なテーマであるがため、今回は少しだけその奥行きについて触れてみることにします。

まずは四字熟語でもある〈諸行無常〉の国語的意味は、

・世のすべてのものは移り変わり、また生まれては消滅する運命を繰り返し、永遠に変わらないものはないということ。

・人生の無常をいう仏教の根本的な考え。

となります。
そして何より、わたしたちが知っている〈諸行無常〉といえば、学校の古文の授業で習った古典「平家物語」の冒頭「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり…」での引用ですね。平家の栄華と没落を象徴した名文ですが、この「平家物語」の比喩もあり、多くの方が〈諸行無常〉といえば虚しい、儚い、哀しいものというマイナスイメージを持っているようです。

ところが、この〈諸行無常〉の言葉の後にひとつの接続詞をつなぐことで解釈は一変します。
「諸行無常。だからこそ生きている今この瞬間に感謝する」「諸行無常。だからこそ人との出会いを大切にする」などなど。仏法を縁として〈諸行無常〉と向き合い、わが身の事実として受け入れることで、このように開かれた解釈に転ずるのです。

また近年の流行語の中にも、この〈諸行無常〉感がもたらせているのであろう言葉があります。モノに執着しない、囚われない身軽な生活を理想とする〈断捨離〉。人生を生前総括するための〈終活〉。この二つの言葉も仏の眼で見直してみる大切さに引き当てて考えてみる事で、少しは我が身の都合から離れた〈断捨離〉〈終活〉になるのではないでしょうか。

聞法により仏のはたらきの中に生かされている自分である事に気付かせていただき、そして感謝の心で仏恩、師恩に報いる。令和2年度光輪寺報恩講は11月22・23日です。

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