努力の先にあるもの

ある読み物で紹介されていた記事です。

ー 日本の大学の登山隊がまだ誰も登ったことがない海外の山の登頂に成功したときのことです。困難を乗り越えてついに山頂にたどり着いたとき、隊長は拳(こぶし)を振り上げて「われ、自然を征服せり」と誇らしげに叫びました。その隣ではガイドをしていた現地の村人が、大地にひれ伏して手を合わせ「自然が私に登ることを許してくれた」と感謝の祈りを捧げたそうです。

人は同じように努力をしても、自分のしたことだけに目を向けると、その自分を支えてくださった大切なものが見えなくなるものかもしれません。どんなに努力をして良い結果が出たとしても、また思い通りの結果が出なかったとしても、その自分を支えてくださった多くの方々のご苦労に目を向けてみましょう。すると私たちの努力の先にあるものが、自慢や不満ではなく「ありがとう」の感謝の心に変わるかもしれません。

この記事のタイトルは「努力の先にあるもの」といいます。まことにハッとさせられる文章です。たしかに「努力」といえばとても聞こえは良いけれども、それを支えてくれているものを見失わせる独りよがりな言葉でもあります。独りよがりな努力の先にあるものが自慢か不満だとすれば、さらにその先にあるのは努力の結果に足踏みしている自分しかいないでしょう。いかなる努力にも必ず誰かの支えがあると思えばこそ、いかなる結果も受け入れて、さらに努力を重ねることができるといえそうです。

感謝の心を忘れないで、困難に臨むべきだと教えてくれています。

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