第107回全国高校野球選手権大会。
夏の甲子園。
岐阜県代表の県立岐阜商業の活躍はお見事でした。16年ぶりのベスト4という結果はもちろんのこと、準々決勝での横浜高校との激闘は間違いなく今大会のベストゲームであり、多くの興奮と感動をくれた素晴らしい試合でした。
そしてこの一戦の中で、とても印象深い場面がありました。4対4の同点で延長タイブレークとなった10回表の横浜高校の攻撃、一気に3点を奪われ7対4とリードされ、さらに無死一塁のピンチが続く場面、県岐商のエース柴田君の表情が画面に映し出されたときのことです。彼は爽やかな微笑みを浮かべていたんですね。
野球を知る人は、野球の試合展開には“流れ”とか“勢い”という得体の知れないものがあるといいます。そのことから言えばこの場面、7対4のスコアになったときに“流れ”は完全に横浜高校に傾いたに違いありません。そのような絶体絶命の状況下での柴田君の微笑みです。
彼の微笑みの理由?
もしかすると、この詩の作者と同じ心持ちだったのかもしれません。
少年時代に、
家の近くを流れる渡良瀬川で溺れた。
必死で手足をバタつかせ、
元のところへ戻ろうとしたが、
ますます流されて焦るばかり。
しかしそこで、気づくのである。
「そうだ、なにもあそこに戻らなくてもいいんじゃないか」
体の向きを変え、
今度は下流に向かって泳ぎはじめる。
川の流れに逆らわず、
力を抜いてしばらく流されていると、
静かで浅い場所に着いた。
「流されている私に、今できるいちばんよいことをすればいいんだ」
この詩は親鸞聖人の大切にされた言葉である〈他力〉とはの一つの例えでもあります。〈他力〉とは〈阿弥陀仏の本願力〉のことをいいます。
お叱り覚悟で申しますと、自分の力ではどうにもならないと知らされる時、弥陀頼りにありのままを受け入れて、自分が今できることをやってみるという事でしょうか。柴田君も今できることとは、独りよがりで無くチームメイトを頼りとして共に試合に臨む。そんな本来の思いに立ち返った瞬間だったんではないでしょうか。
そんな柴田君の心持ちをチームメイトに伝えるための微笑みだったのかもしれません。そして彼はこの大ピンチをしのぎ、10回裏には奇跡の同点タイムリーが生まれ、ついに県岐商がサヨナラの勝利となりました。勝利の縁に出遇ったということですね。
甲子園の激闘と彼の微笑みにふと親鸞聖人の教えを垣間見た瞬間でもありました。